無題

言葉では届かない。
理屈では辿り着けない。
そのことが、「分かる」という不思議。(分かるとは言語内=意識内の出来事なのに)
だから、「気づいている」というのが正しいのかもしれない。
「分かりえない、分かったらそれはすでにそれではないということ」に気づいている。


「不思量底いかんが思量せん。非思量。」

問い。「無=ない」をどうやって考える。
考えるとはすでにして「存在=ある」でしかないのに。

答え。非思量。すなわち、考えるのでもなく、考えないのでもない=考える主が消え失せている=問う主消えればそれがそのまままるごと答え。

言語平面からの垂直ジャンプ。
こんなこと、なんで語ろうだなんて思ったんだい。